松岳寺

境内のご案内とあわしま様

こちらでは当山境内にある伽藍についてご案内いたします。
いずれも興味深いものと思われますのでぜひご覧ください。

境内の地図

本堂

開設は1624年(江戸時代)3月ですが、本堂建立等の記録は一切残されていません。
先代の本堂はおおよそ100年程前(明治時代)に建立もしくは、改築されたものと思われます。時の住職、松岳寺十五世千葉履山大和尚さまが、本寺(結城市乗国寺)様より中興(寺院伽藍整備の貢献に贈られる称号)と言う功労を讃える称号を授与された記録は残されております。
昭和30年代から昭和54年まで無住職の時があり本堂は荒廃にいたりました。
平成7年より役員、檀信徒皆協力して本堂建設積み立て基金として貯金してまいりました。
平成15年より建設委員会を発足し、基金をもとに全檀信徒に浄財を仰ぎ改築が決まりました。
平成16年7月本堂取り壊し、平成18年春に完成致しました。

松岳寺の四季

春の桜

春の桜

夏のハナミズキ

夏のハナミズキ

秋の紅葉

秋の紅葉

冬の雪景色

冬の雪景色

庫裡

平成3年8月の10日に完成し、約53坪あります。 20畳の客室があり、法事や各種行事の控え室となります。
また、芸術家松原賢先生の作品が飾られていて見る人を和ませています。
ご興味のある方はぜひご来山ください。

松原先生の作品

松原先生の作品

松原先生の作品

永代供養聖観音菩薩

永代供養聖観音菩薩もともとこの場所には何も御座いませんでした。境内墓地整備のため、昭和62年に外墓地の整理をしていた所、無縁の石塔が百体以上出てきました。住職と役員15名と石材店の協力で無縁の石塔をこの場所に移しました。平成に入りお檀家さんで跡取りがいなくなられた有馬さん老夫婦が相談に参りました。「自分達が亡きあとは、無縁塔に合祀して下さい。」との事でした。その後この老夫婦は平成五年にご主人様、平成十年に奥様が亡くなられました。老夫妻の遺言にしたがいお寺でご主人さまの十三回忌と奥様の七回忌供養を合修いたしました。
百体以上もある無縁の石塔を、半分西国三十三ケ所に移しました。あいた場所に永代供養塔(五輪塔)の合祀場所として観音菩薩を建立(平成十五年二月)し、彼岸、盆、施食会の供養をいたす事に決めました。

観音堂(あわしま様)

あわしま様あわしま様開設不明(年代不詳)
堂宇建立は平成9年8月改築。
この地方には古くから観音さまのご化身として粟嶋さまの信仰があり、松岳寺の住職が村内はもとより、近隣住民の皆様の信仰心におこたえして、建立されたものと聞き伝わっております。
あわしま様神仏混合時代には粟嶋神社として祭神を少名彦(スクナヒコ)、という女神で、和歌山県海草郡加太村(現 和歌山市)の淡山神社に祀るともいい、また、鳥取県西伯郡彦名村上粟島にも粟島神社があって少彦名命は常世の国(とこよのくに)へは此処から渡らせられたとも云われています。
婦人病に効があり、安産の神様でありまして、祈願して無事安産すると、産着に似せた着物を川に流すと神様に届くと言われています。また、針供養をしたとも云われております。そして、縁結びの神様としても信仰され、成就された方のご婦人の黒髪を束ねられたものが(旧堂社)前の扉にたくさん供えられてありました。現在は観音堂としてあわしま様の名を残し、松岳寺にて管理しています。
戦前戦後9月3日の大祭には、宗派を超えて地域住民はお祝いのお赤飯を炊き、夜は芝居などの余興もありました。出店もあったと伝えられています。また、正月の3日にも大勢のご婦人がお参りに参りました。
現在では、農繁期の事情もあり10月第一日曜日(旧暦の9月3日に近い休日)に大祭を行っております。祈願祭には30名から100名ほどの皆さんがお参りくださいます。 祈願祭は祈祷法要(大般若祈祷)を住職が行っております。

あわしま様

西國三十三所

明治15年から明治30年の間に作られたものと思われます。
弘法大師(真言宗)の霊場巡礼信仰と思われます。今と違い昔は交通手段が容易ではありませんですから、地域住民が浄財を喜捨し観音さまの石仏を作り西国(関西から近畿地方)を巡礼させて頂いたと云う事で作られたと思われます。
<全国の巡礼地には>
北海道三十三観音。奥州三十三観音。津軽三十三観音。最上三十三観音。会津三十三観音。越後三十三観音。信濃三十三観音。坂東三十三観音。秩父三十三観音。武蔵野三十三観音。安房三十四観音。北陸三十三観音。伊豆横断三十三観音。知多八十八カ所。西国三十三観音。中国三十三観音。出雲三十三観音。四国八十八カ所。小豆島八十八カ所。九州西国(筑紫)三十三観音。九州篠栗八十八カ所。九州八十八カ所。
<巡礼・遍路>
四国八十八カ所は815年(弘仁6年)弘法大師42歳のときに開かれたとされています。
大師の入定後、高弟眞済がその遺跡を遍歴したのが始まりとされております。鎌倉時代から室町時代に入ると一般の庶民も大師の遺跡を巡礼遍路に参加するようになりました。

霊園

本堂の北側には霊園が位置しています。豊かな田園風景の向こうに筑波山を一望できるとてもすばらしい環境です。
なお霊園の分譲も行っております。こちらよりお問い合せください。